近況報告

この2週間

いろいろなことがありました。

やっと落ち着いたので、

覚え書きとご報告ということで

書き記しておこうと思います。





3/3(土)母が緊急入院しました。

「胸が苦しい」ということで

自分で救急車を呼び、

病院へ搬送されました。

連絡を受け、

急いで実家の祖父母と病院へ。

続いて、

義父、弟も病院へ駆けつけました。


担当医の所見では、

ニトロスプレーで処置を行ったところ、

一時的に落ち着いたので

狭心症ではないか、という判断でした。
(急性心筋梗塞はニトロスプレーで治まらないらしい)

ところが、

検査を進めていくと、

「急性心筋梗塞」

とのこと。

心臓カテーテル治療が行われることになったのですが、

右手から挿入を試みるも、

動脈硬化が多いことと、

心臓の血管が通常より少し異なること、

この2つが

治療を非常に難渋させていたそうです。

右足からも試みたけど、

こちらも難しく、

血管内挿入した管が抜けなくなったそうです。

最後は、

左手からの挿入を試みることに。

この時点で

手術室に入って2時間以上が経過していました。

18:00頃、

私と義父が手術室へ呼ばれ、

担当医から

「人工呼吸器の挿管をしました。血圧も低下しており、非常に危険な状態です。
病院の総力をあげて救命をしています。」

と告げられました。

救命・・・

私と義父は顔を思わず、見合わせました。

先に、

自宅へ帰った祖父母・弟にも状況を報告。

とにかく、

待つしかない。

さらに、30分後

手術室へ呼ばれました。

担当医から

「うまくいきました!」

安堵と疲れが一気に押し寄せました。



続いて、外科手術。

右足に血管内挿入した管を抜くことに。

こちらも簡単ではなく、

約2時間を要しました。



母が手術室から運び出されたのは、

21:00過ぎ。

私たちは

15:00~病院の待合で待機していたので

約6時間!

長かった・・・

このあと、CCUへ移動。

処置が1時間ほど行われ、

やっと面会したのが22:00過ぎ。

といっても顔を少し見た程度。

肺に痰が溜まり、

まだまだ処置が続けられるとのことで、

私たちはその夜は病院へは泊まらず、

帰ることになりました。


翌日3/4(日)には、

人工呼吸器も外れ、通常通り会話もできるようになりました。

その後、

心不全があったり、足からの出血があったりと

油断できないことが多々ありましたが、

3/8(木)には、

症状も落ち着き

翌週くらいには

一般病棟に移れそうなくらい回復していました。


3/9(金)

通常、仕事中は携帯電話はバッグの中に入れており

電話は出ないのですが、

母が入院していたこともあり、

いつ病院から電話があってもいいように

携帯を机の上に置いて仕事をしていました。

11:15頃。

知らない番号から着信あり。

母が入院している病院からではない。

電話に出ると、

「○○病院です。****様のことで・・・」

母の叔母(祖父の妹)、

私の大叔母さんが

危篤状態だという連絡でした。

課長に状況を報告し、

早退させてもらいました。

雨の降る中、

急いで実家に戻り、祖父母を車に乗せ、

病院へ。

3FのICUへ3人で駆けつけると、

担当医から

「つい先ほど・・・」

3月9日 午後0時37分 永眠。

71歳。

急性心筋梗塞でした。

まず、

葬儀屋さんに連絡の電話を入れ、

時間を指定し、迎えに来ていただくことに。

その間に、

母が入院している病院へ移動し、

大叔母さんが亡くなったことを

CCUにいる母に告げました。

その後、

葬儀場へ移動し、

葬儀の打ち合わせを。

手探り・・・というより、

ゼロの状態。

わからないことだらけでしたが

祖母と葬儀屋さんのサポートにより

何とか打ち合わせが終了。

一息つく暇もなく、

この後、お通夜でした。


その夜は、

翌日の葬儀に備えて

家族と打ち合わせ。

各自にやるべきことを指示したけど、

皆、「葬儀」というだけで

混乱していました。

私も混乱していたけど、

それどころではない状況、

その日の夜は、

気が張ってなかなか眠れずでした。


3/10(土)午前中は各自葬儀の準備を。

11:30実家を出発し、

12:00葬儀場へ。

簡単な食事、お坊さんへのご挨拶、葬儀屋さんとの打ち合わせなどがあり、

14:00葬儀

15:00出棺

斎場から葬儀場へ帰って来たのは

17:00頃でした。

精進落としがあり、

後飾り壇の準備、お供え物などの説明が

葬儀屋さんからあり、

すべて終わったのは、

19:30頃でした。


その後、

母の入院している病院へ向かい、

報告を。


自宅へ帰ったのは

22:30頃だったかな?


翌日3/11(日)

大叔母さんが入所していた施設へ

荷物を取りに行き

挨拶をしてきました。


大叔母さんの

一番最初に

異変に気が付いたのは施設の職員の方だったそうです。

3/9明け方、様子がおかしいので

即、救急車で病院へ搬送されたそうです。

この時、

実家の祖父母の方へは

病院から連絡があったそうで、

早朝、祖父母は一度病院へ行っていたそうです。

この時は、

一時的に大叔母さんは意識を取り戻したそうですが、

祖父母が病院をした後、

意識がなくなり、そのまま・・・ということでした。

祖母が、

「連絡がつかなかった場合に」

と私の連絡先を病院へ伝えていたそうです。

それで、

私の方へ危篤の連絡が入ったのです。


3/12(月)~私は通常通り、会社へ出勤。

母の方は

この日から一般病棟へ移ることができました。

3/13(火)~リハビリも始まり、

体調も順調。

3/16(金)退院となりました。

私はこの日、

有給休暇を取得し、

午前中は、大叔母さんの役場での手続きなど。

午後から、母が退院だったので迎えに行くことに。



怒涛の2週間でした。

母不在の中の葬儀は、

本当に大変でした。

でも、

このことはどの家庭でもあることで・・・

うちが”特別”ではない。

周りからは、

「頑張ったね」とか「よくやったね」とか

言われたけど、

私的には不満足なことだらけ。不十分なことだらけ。

私くらいの年齢だと

できて当たり前なことなんだと思います。


これを書くのは

不謹慎かもしれないけれど、

今回はとても勉強になりました。


いろいろな方にお世話になり、

励ましのお言葉をかけていただきました。

ありがとうございました。

また、迷惑も多くおかけいたしました。

本当に申し訳ありませんでした。


この2週間は、

パソコンの電源も入れず、

たまにONにしても、すぐOFFにしたりと、

とにかく時間がなかったのですが、

何とか落ち着き、

いつもの日常へと戻りました。


ブログの更新が止まっている間も、

毎日変わらないアクセス数がありました。

訪問してくださった方、ありがとうございます。

ブログを始めて8年目になるのですが、

2週間以上更新しなかったのは初めてでした。

これから、

少しずつ少しずつ、

更新していこうと思います。

過去記事になってしまうのですが、

よろしければ

お付き合いください。



長文失礼しました。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

記事の中には

不快に思われる表現などあったかもしれませんが、

ここは私の自己表現の場と思っているので

ご容赦ください。


※この記事に対して、コメント不可・トラックバック不可にさせていただいております。
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by bairas000 | 2012-03-21 00:21 | 日記


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